2008年07月26日

納豆

私が子どもの頃の話。

ある夏の日、学校から帰ってくると、

テーブルの上におにぎりがいくつかあった。

母が作っておいてくれたようでした。

ひとつひとつアルミホイルで包んである。

私はお腹がすいていたから、その中の一つを取って、

アルミホイルを開きました。

明らかに納豆の匂いがする。

ひょっとして具は納豆か?

正直、母なら、やりかねない。

でもまあ、世の中には「納豆巻き」なんてものもあるし。

とにかく食べ進む。

具は鮭でした。

つまり、単に、おにぎり自体が腐ってただけなんです。

その時、私は思いました。

「逆に言えば、納豆って、やっぱり腐ってるんだな」と。

腐ることに公式、非公式の差はありますね。

納豆は公式に腐っている食べ物です。

でも、おにぎりは非公式に腐っていたわけです。


ちなみに私は納豆が大好き。
posted by MAC at 00:17| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月25日

素朴な疑問

どうして特急列車は普通列車より料金が高いんでしょうね。

乗っている時間は特急列車のほうが短いのに。
posted by MAC at 23:30| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月24日

バンザイ

  あやしうこそ、ものぐるほしけれ。

兼好法師『徒然草』の有名なフレーズ。

気持ちわかるなあ。

アホなことも、いっぱい考えてしまうもの。

兼好法師は自分の感覚を信じて書いてますね。

感覚派人間バンザイ。
posted by MAC at 23:10| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

こわさ

ホロコーストについての証言で、

こういうのをどこかで読んだことがあります。


ユダヤ人の入院病棟は患者であふれていて、

定期的にゲシュタポ(秘密警察)がやって来た。

彼らは訪れるたびに、

戸口に近い方の患者から順に何人かを連れて行った。

もちろん連れて行かれた患者たちは二度と戻って来ない。

患者たちは相談して、

快復の見込みがない患者のベッドは戸口近くに、

助かりそうな患者のベッドは部屋の奥のほうに置くことにした。


ヒューマニズムって曖昧ですよね。

時に何が良いことなのか分からなくなる。

・・・なんて、大きな口をたたいていますが、

戸口の患者、奥の患者、ゲシュタポ、どの立場になるのも、こわい。
posted by MAC at 23:03| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ことば遊び

近所の洋食屋さんに長嶋茂雄さんの直筆であろう色紙が飾ってある。

サインとともに、

  野球というスポーツは人生そのものだ

と書かれています。

なんだか「○○という△△は人生そのものだ」って具合に、

自分でも言ってみたい衝動に駆られません?

私なら何を入れるだろう。

根っからの蕎麦好きだから、

「蕎麦という食べ物は人生そのものだ」

蕎麦打ちの職人さんが言うのなら説得力があるかもしれないけど。

「登山というレジャーは人生そのものだ」

「読書という娯楽は人生そのものだ」

こじつけることは、いくらでもできますが、

どうしても説得力がありません。

  詩人、ボクシングファン、劇作家、青森県人、

  ブリジット・バルドオ・ファン、日本人、黄色人種、

  寺山修司、ジャズマニア、競馬狂、地球人、日本現代詩人会員、

  戦争非体験者、エトセトラ。

  どの一つをとって「これがおまえだ」といわれても、

  私は否定できませんし、

  反面「これこそわたしそのもの・・・」といった感じも

  持つこともできないのです。

寺山修司『家出のすすめ』から。

しかし「△△」に「仕事」と入れて、

「○○」には今の自分の仕事を当てはめてみると、

多少の説得力を感じます。

あくまで自分に対しての説得力ですよ。

これは、たいへん幸せなことでしょうね。

たぶん、それに打ち込む度合いによるのだと思います。

でも、ちょっと固い感じになるなあ。


さて「○○」に「お茶」あるいは「茶道」と入れるなら、

「△△」には何がくるかしら。

「趣味」?

「遊び」?

「お稽古」?

「接待」?

「エンターテインメント」?

「おもてなし」?

「鍛錬」?

「立ち居振る舞い」?

「井戸端会議」?

「飲食」?

もうこのへんでよしますが、

お茶の先生ならば、どんな言葉をお入れになるでしょうね。

そもそも「○○」には?
posted by MAC at 22:48| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

安野光雅著『絵の教室』に、こんなくだりがあります。

  アメリカの先住民には、

  山の稜線を楽譜にみたててそれを歌う民族があると聞きました。

  なんとその文化のすばらしいことでしょう。

  山並みを描くとき、

  それは山の稜線を歌うのに似ています。

私は、お茶を点てている時、

ふとシンセサイザーに埋もれるミュージシャンと、

イメージが重なることがある。

自分の周りにあるお道具を楽器のように感じるんです。

私にはシンセサイザーを奏でることができないけれど、

その快さは、お茶のお点前から想像することができます。

まあ、あくまで想像になるんですけど。
posted by MAC at 06:03| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月23日

Hello

  You say yes.

  I say no.

  You say stop and I say go go go.

  Oh no.

  You say goodbye and I say hello.

  Hello,hello.

  I don't know why you say goodbye.

  I say hello.

  Hello,hello.

  I don't know why you say goodbye.

  I say hello.


  I say high.

  You say low.

  You say why and I say I don't know.

  Oh no.

  You say goodbye and I say hello.

  Hello,hello.

  I don't know why you say goodbye.

  I say hello.

  Hello,hello.

  I don't know why you say goodbye.

  I say hello.

ビートルズ「HELLO GOODBYE」から。

ポール・マッカートニーによって、あくまで明るく歌われる。

そして、お祭り騒ぎのエンディング。

私はこの歌が大好きです。

お互いを理解するためのスタートラインに立った喜びのようなものを、

表現している気がするのだ。
posted by MAC at 20:11| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

アイデア

  アインシュタインは、

  一番いい考えが浮かぶのはひげを剃っているときだ、と言った。

  画家グラント・ウッドはこう言っている。

  「これまでに考えついたなかで本当によいアイデアは、

  すべて牛の乳しぼりをしているときに浮かんだ」

  フランスの数学者アンリ・ポアンカレは、

  ある数学の問題を必死で解こうとしたがかなわず、

  休みをとることにした。

  そしてバスに乗ろうと足を踏み出した瞬間、

  解法が頭に浮かんだそうだ。

ジャック・フォスター著(青島淑子訳)『アイデアのヒント』より。

ここにいくつか書かれているような現象を、

誰でも一度は体験したことがあるんじゃないかしら。

脳って面白いですよね。


で、私には妙な自信があるんです。

あらゆる問題は必ず解決できる、という。

日常生活の問題から仕事上の問題まで。

何らかのアイデアが絶対に浮かぶはずだと感覚的に確信しています。

また、浮かぶんですよね、たいがい。

これは幼い時からの私の思考習慣で、いまさら変えようがない。

でも『アイデアのヒント』によると、

この感覚はアイデアを得るのに良く作用するらしいです。

例えば、私は、ブログの記事を書いていて、

適当な言葉や言い回しがなかなか見つからなくても、

自分を信じて待っていれば、必ずいいアイデアが浮かんできます。

当たり前といえば当たり前。

他の人も「いいアイデア」と思うかどうかは別ですけどね。

  アイデアを手に入れられる「だろう」とイメージするのではない。

  「すでにアイデアが手に入った」状態をイメージするのだ。(中略)

  それはきっと現実になる。

再び『アイデアのヒント』より。

自己啓発本によくある言い回しかもしれません。

でも私は自然にそれをやっていたようです。

  There must be some way out of here.

ボブ・ディラン「ALL ALONG THE WATCHTOWER」から。

片桐ユズル訳は、

  ぬけだす道があるはずだ

このディランのフレーズ、何かの拍子によく頭をよぎるんです。

「ぬけだす」のは極めてポジティブな発想だと思います。

「道」を見つけなければならないわけですからね。

  「名言集というのは、言葉の貯金通帳なのね」

  と言った女の子がいる。そうかも知れない。

寺山修司著『両手いっぱいの言葉』より。

私は「貯金」するために本を読み、音楽を聴き、

映画や絵画を観ているのじゃないか、

と思うことがあります。
posted by MAC at 19:51| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月21日

コメント(続)

いただいたコメントの中には質問もありましたので、

触発されて、いくつか書きます。



丸谷才一著『どこ吹く風』中の「文学的意見」では、まず、

一種の冗談として小説を書くのがイギリス文学の伝統になっている、

ということから始めて、

  夏目漱石は、イギリス小説を熱心に読んで、

  書き方を勉強した人だから、

  彼の流儀はおのづからイギリスふうになつた。(中略)

  それを日本自然主義の小説家たちが嫌つて、

  切羽つまつた趣がない、とか、

  真剣味が足りないとか評したとき、

  漱石は、自然主義小説には余裕がないと言ひ返した。

  これを在来の文学史家は、

  漢詩的抒情の方向で理解しようとしたが、

  あれはむしろ、

  小説が冗談であることがわかつてゐないといふ意味なのである。

「余裕」という言葉を聞くと、

必ず「文学的意見」のこの部分が思い出されます。

前に記事のタイトルに使った「忙中閑あり」は、

「余裕」ということが言いたかったのでした。

私は忙しいことが嫌いではありません。

充実した時を過ごすことができますから。

細切れの時間の計画を立てるのも大好きです。

それに、忙しい時ほど、夢と笑い(冗談)とが頭をちらつきます。

切羽つまった時ほど。

頭に感謝。

きっと、暇の長さと精神的余裕とは、

必ずしも比例関係にないんでしょうね。



私は恋愛に関して笑うほど不器用です。

アドバイスらしいことなんてできません。

まっすぐに頑張ってくださいね。



私が人と接する時に考えるのは、

「この人(たち)に恥をかかせないようにしよう」

ということかしら。

相手に恥をかかせるくらいなら、その恥を私がかぶります。

恥ずかしそうにしてる人を見ると、

なんか良心(?)が痛むのね。

どうしてか分からないけれど。



答えになってないとは思いますが、このへんで。

ありがたいコメントの数々、感謝いたします。
posted by MAC at 22:35| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

コメント

このブログではコメントを受け付けていません。

でも試しに1日(正確に24時間とは限らない)だけ、

コメントを受け付けてみようと思います。

私の承認後にコメントを表示するシステムですが、

受け取りっぱなしにするつもりです。

つまり頂いたコメントは表示しません。

私だけが読む(笑)。

何様のつもりだという感じではありますが・・・。

私のブログをどういう方が読んでいるのかしらと思い・・・。
posted by MAC at 00:55| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月20日

中庸

過ぎたるはなお及ばざるがごとし。

その通りですよね。

太宰治はこの言葉を怠慢の言い訳だとどこかで書いていた。

それもまた面白い。

しかし、やはり何ごともやり過ぎはいけません。

ただ、私には「過ぎたる」を好むところがあるのは否定できぬ。
posted by MAC at 07:14| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

朝に思うこと

誰でも思いつきそうなこと、

どこかで聞いたことあるようなことを、

さも面白そうに言う人が嫌いでした。

聞いてるこちら側が恥ずかしくなりました。

あるいは、面白いことであっても、

誰かが「うまい!」とか「○○節!」とか言った瞬間に、

興ざめしたものです。

それらの言葉に「さも面白そうに言う人」の匂いを感じたからだと思います。

そうなってくると、自分自身は、

ベタであることを分かった上でわざとベタなこと言ったり、

シュールなほうに傾いたりするようになる。

しかし、それもさじ加減によっては、

ねらっているようで、いやらしくなります。

こういう感覚は私の中に多少まだ残っているよう。

それとも、みんなそうなのかしら。


反対に、自分自身が、

「さも面白そうに言う人」になってしまっていることもあります。

もちろん、その基準は極めて主観的(感覚的)なもの。


映画評論家の淀川長治の言葉に、

「私には嫌いな人がいない」

というのがあったはずです。

我田引水だけれど、

これは「嫌いな人」をも楽しもうという意味じゃないかしら。

まるで映画でも観るように。

前に挙げた映画『コーヒー&シガレッツ』や、

イッセー尾形さんのひとり芝居なんかを観ると、

自分の日常生活が面白い場面の連続であることに気づきます。

で、嫌いと面白いとの境目がわからなくなる。

  こうするのはいけないことだと他人を批判していると、

  自分もそのことから自由になれません。

宝彩有菜著『さとりの方程式』より。また、

  ディランはなんでもぶちまける。

  心情、サウンド、言葉、そして自分自身。

  およそ整理整頓ということをしない。(中略)

  言葉は奔流のように湧いては溢れ、溢れては湧き、

  よくよく歌詞をみればなんのことかさっぱりわからないが、

  その「わからなさ」が幻想的なイメージを呼び起こし、

  ついにわからないでままでいいのだと納得させる。

中山康樹著『ディランを聴け!!』から。

つまり、人生は楽しむに越したことはない。

こんな結論。


山田くん、座布団全部持ってって。
posted by MAC at 07:06| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

鉄人28号

子どものころ「鉄人28号ごっこ」というのをしたことがあります。

まず、鉄人28号役と正太郎役とを決める。

話し合いの結果、私が正太郎役となった。

正太郎役は、

「飛べ! 鉄人!」

とか、

「ハンマーパンチだ! 鉄人!」

とか命令する。

それを鉄人28号役の友だちが実行するのだ。


しかし、命令する種が、遊び始めてから間もなく尽き、

私の命令はだんだんわけのわからないものになっていった。

「自分の頭をたたけ! 鉄人!」

とか、

「『ぎょうざ』と10回言ったあと『食べたい』と3回言え! 鉄人!」

とか、

「ボールを転がすから、拾ってこい! 鉄人!」

とか。

結局、お互いつまらなくなって、すぐにやめてしまった。


茶道のお稽古をしていて、

誰でも一度は思ったことがあるのではないでしょうか。

「先生に操作されてるロボットみたい」と。

ただ、このロボットは不完全です。

完全なロボットなら先生の意のままに動くはずですから。


野生動物は、自然の中で「完璧な仕事」をします。

アライグマにしても、カメレオンにしても、クモにしても。


人間の場合「完璧な仕事」ができる人を「天才」と呼びます。

つまり希少なわけです。

人間が「完璧な仕事」を捨てて「適応」を選んだ結果でしょうね。

進化論的にいえば、そういうやつが生き残ってきた。

人間は環境に合わせて多様に学ぶことができます。

生まれつきのものより、後から覚えるもののほうが多い。

つまり環境が変わっても適応できるということ。

当然そのほうが絶滅の可能性は低くなる。

なかなか覚えられないのはその副作用でしょう。


お稽古をしていると、いつも思う。

「覚えられないのもしかたがない」と。

驚愕の自己弁護です。
posted by MAC at 00:58| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月12日

「夜に思うこと1」の補足

例えば、

何かを「断られた」人より「断った」人の方が深く傷つく。

悪口を「言われた」人より「言った」人の方が深く傷つく。

迷惑を「かけられた」人より「かけた」人の方が深く傷つく。

そんなことがあると思います。
posted by MAC at 19:42| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

忙中閑あり

  夢を切ってはとまる息の根

石川淳『夷齋風雅』から。

威勢がよく、どこか可笑しい言葉です。

そして、妙に勇気づけられる。
posted by MAC at 19:39| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月11日

夜に思うこと10

何気なく開いた本や、

何気なくつけたテレビなんかで、

自分がちょうど興味あることを、

ドンピシャのタイミングで目にすることがある。

縁とか運命とかを信じたくなる瞬間です。


「夜に思うこと10」というタイトルを先に決めて、

何か「10」に関わることを書こうと思いつつ、

なんとはなしにテレビをつけると、

ファイターズのダルビッシュ投手、10勝目の報。

景気がいいので書いてみました。
posted by MAC at 22:07| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

夜に思うこと9

  戯作者の舌は閻魔も抜きかねる

石川淳『夷齋風雅』より。

「戯作者(げさくしゃ)」は「小説家」といったところか。


素晴らしい話芸を持っている人たちは、

概して「うそつき」と言われるようです。

でも、正確に伝える必要のない話ならば、

脚色をして、より面白くしても別にいいと私は思います。
posted by MAC at 21:01| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

夜に思うこと8

石川淳『夷齋風雅』に、こんな川柳があります。

  魚の骨のどにつかへて味知らず

例えば、映画を観ていて、

筋が通っていない「あれ?」という箇所があると、

最後まで気になってしまい、

その他のことが上の空になることがある。

小説なんかもそう。

「味知らず」です。


あるいは、慌てふためいて自分で何やってるか分からない。

この句から、そんな光景も思い浮かびます。

可笑しな感じがしますね。

石川淳の空気。


「つまらない(詰まらない)」という言葉は、もともと、

「抵抗感なく、すうっと読める文章」

すなわち、

「詰まらず読める文章」

のことを言ったものだと何かで読んだ記憶がある。

「詰まらず」に読めるのは、よさそうなものだけれど、

それは、心にも引っかかるところがないということ。

そういう文章は、つまらないですよね。

適度な抵抗感はむしろ快いので。

ミスによる抵抗感が「魚の骨」。

これはこれで楽しめないことはないのだけれど。
posted by MAC at 20:51| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月08日

わからないこと

  映画を頭で見たら、つまらないね。

  もっと感覚的に見てほしい。

『淀川長治 映画ベスト1000』より。

巻頭に掲げられている淀川長治の言葉。


黒澤明監督はどこかのインタビューで、

「最近の映画は説明しすぎる」と嘆いていました。

ゴダールも似たようなことを言っていた気がする。

質の良い不可解さは想像力をかき立てますからね。


それとはまた方向性の違う話になるかもしれませんが、

白黒の無声映画では色と音とを観客は想像しなければならない。

色と音との「説明」がないので。

しかし、映画がカラーで音声もあれば、

色と音とに関して観客は想像する必要がなくなる。

技術の発達には想像力(創造力)が不可欠でしょうけども、

逆にその、技術の発達が人間の想像力を奪う面があります。

想像力を使わなくても済む世の中にしてきたんですよね。

そのほうが楽ですから。

必要な情報だってネットですぐ手に入る。

そう考えると「わからない」ことも大事だったのじゃないか。

感覚を研ぎ澄ます上では。
posted by MAC at 19:27| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

七夕

少なくとも日本にいると、

クリスマスやバレンタインデーより、

七夕のほうがはるかにロマンチックな気がします。

物語も、短冊の願い事も。
posted by MAC at 07:20| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする